旧齋藤家別邸

先日、新潟市中央区にある、旧齋藤家の別邸に見学に行ってきました。

齋藤家とは、新潟の三大財閥のひとつに上げられていた名家です。

新潟の三大財閥は、「新潟市史」では齋藤家、鍵冨家、白勢家。「新潟開港百年史」では、齋藤家、鍵冨家、田代家と二通りの説に分かれているようです。

いずれも幕末から明治にかけて事業を発展成功し巨万の富をなし、戦後のGHQの財閥解体政策、農地改革により解体衰退という経過をたどったようです。

ここ旧齋藤家別邸は、新潟市中央区西大畑にあり、隣には三百年近くの歴史がある新潟を代表する日本料理の老舗「行形亭」、向かいには會津八一が晩年過ごしていたという北方博物館新潟分館があり風情ある街並みの所にあります。

この邸宅は、4代喜十郎が大正7年(1918)に建てましたが、戦後GHQの接収を経て、加賀田組2代目社長の加賀田勘一郎の手に渡りました。

その後、平成17年(2005)に加賀田家の所有から離れると、新潟市民の間から存続を危ぶむ声が上がり始め、市民有志は「旧齋藤家夏の別邸の保存を願う市民の会」を結成し、保存運動を行いました。

その甲斐あって、平成21年(2009)に新潟市がこれを公有化しました。

門をくぐり、受付で見物料300円を払い邸宅の中へ入ると、1階は大小10部屋くらいあり、西側は主たる居室・接客空間、東側が勝手口・厨房・土蔵等のサービス空間と明確に分かれています。

居室は各々材種・銘木・意匠を凝らして造っていて、それぞれ趣の異なる座敷空間を創り出しています。まさに新潟いちの財閥の別荘で、贅の限りを尽くしています。

10畳2間続きの一階大広間からは、東京で活躍する有名庭師が3年もかけて造ったといわれる面積4,500㎡もある回遊式庭園が一望できます。

庭園の中の階段を歩いて上に行くと立派な茶室があり、その近くには茶席を待つ賓客のための待合まで建てられていました。

また、茶室の前には重さ13トンもあるという巨石がありました。

これは東京の大名屋敷から運んできたそうです。

当時、信濃川に掛かる萬代橋は木製で造られていて、この巨石はこの橋を渡ることができず、新潟駅から1か月も掛かって運んできたとか。

運搬ルートは様々な諸説があるそうです。

四代喜十郎は、実業家、政治家として交友関係も幅広かったらしく、この別邸に多くの著名人を招き入れ、さぞかし〈おもてなし〉をしていたのでしょう。

 

2016年12月05日